掲載された内容は取材時のものです。
どうせ倒れるなら夢を遂げて倒れよう。
菓匠久幸堂
青木幸治
東京で洋菓子の修業をしていた。
父の要請にしたがって阿蘇に戻る。父は脱サラで煎餅屋を始めた人だ。
洋菓子をめざす若者は、自分が何を作っていけばよいのか悩む。
そしてフランスへ単身飛ぶ。
そこでかの国のパティシエからこう言われた。
「貴国には和菓子というすごい文化があるじゃないか」
青木幸治さんが筋金入りの和菓子職人の道を歩き始めた瞬間でした。
三十歳を迎える前に父が他界する。経営は難しいかもしれない。
が、どうせ倒れるなら夢を遂げて倒れよう。
そこからは、困難の山を踏み分ける日々だ。
すこしずつ、半歩ずつ、その情熱が成果をあげ、結実したのが「ゆず萌え」という名の阿蘇を代表する銘菓だ。
全国菓子博の最高賞を得る。
「小さなこの菓子に、多くの方々のさまざまな応援が染みています」