畜産農家 中川利美

掲載された内容は取材時のものです。

熱意だけをふところに、若者は渡米した。

畜産農家
中川利美

一九六〇年代後半から七〇年代にかけてのあのころ。
ベトナム戦争が連日のようにマスメディアをにぎわし、日本の大学新入生たちのあいだに「五月病」という無気力病も流行した。そうした世相のなか、
「英語なんてからっきしだめだったけど」、
度胸とやる気だけでは誰にも負けない阿蘇の若者は農業研修生としてアメリカに渡った。
青年時代の中川利美さんだ。
大農場を有する大富豪の家にホームステイして学ぶ。
「とにかくその広大さ、見渡すかぎりの大地に度肝を抜かれました」
現在、米作りと同時にあか牛の繁殖農家として精力的な活動をつづけている。
後輩たちに手本にされることも多い。
身体のつづくかぎりこの仕事を、という気持ちが失せることはない。
「アメリカで学んだこと、そう、あれが今なお強力な栄養だね」