掲載された内容は取材時のものです。
決断した方々に、万感の敬意を抱いて。
なみの高原やすらぎ交流館
望月克哉
長い歴史をもつ高原の小学校は、ふるさとの香りがする。
地域の人びとの思い出と抒情が詰まっている。
時代の流れで廃校となったその建物が「都市と農村との交流空間」として再生したのは平成十四年のことだった。
合宿や研修に広く活用できる施設だ。
創設以来の館長を務める望月克哉さんは静岡県の出身である。
中学時代、10泊11日のキャンプに参加した。
自然の真っ只中で、自分を含めて「いのち」のことと向き合う。
そのあまりに鮮烈な体験が以後の人生を決めてしまった、ということになる。
東京農大の大学院で林学を研究し、「やはり自分は研究者ではなく野外教育を職業としていきたい」と決断する。
厳しい選択だ。順風ではなかった。
が、熱意が縁を呼び寄せたのだろう、熊本の波野に交流施設が計画されていて指導者を探していると知らされる。
「神楽などで広く交流があったこともあり、この地の人びとは開放的で前向きです。とても助けられました」。
その気質は震災のときにも力を発揮した。
交流館は大量のおにぎりの製作現場となり、阿蘇の電源を回復するための九州電力復旧チームの前線基地ともなった。
「十数年前にこの画期的な施設を決断した方たちに万感の敬意を抱きます」。
そのこころを生かしていきたい。