「看せる板」の表現力を磨いていく。
まるそう広告
桑島 圭
ある「あか牛料理店」の看板を引き受けることになったのは、その店が「これほどおいしいのに、お客が少ないのはもったいない、と痛感したからでした」。
桑島圭さんが腕を振るったデザインは、目を引くことと、何業であるか明快であることという看板の果たす役割に徹した、シンプルで力強いものだった。結果はみごとに出て、店は大繁盛となる。「看板屋冥利に尽きます」。
「まるそう広告」のルーツは、祖父母が始めた文房具の行商だった。その後、化粧品や洋服を扱うようになり、看板業も手がけるようになったのは父の代からである。
福岡の美術学校を卒業し、大手の屋外広告会社に就職してがんばっていた次男坊が、阿蘇に戻り、父とともに仕事するようになったのは、大きな流れに逆らわなかったということだろう。
ほとんど休日など返上でがむしゃらに働いているうちに、軌道に乗り始める。デザイン力はもちろんだが、誠実な人柄が引き寄せた商運にちがいない。
阿蘇のまちが地震で被害を受けたあと、迂回路表示やゴミ集積所での分別表示など、「まちの機能」としての看板づくりに東奔西走した。
看板とは、看せる板。インフォメーションそのものがメッセージを果たす。またひとつ、この仕事の使命と誇りを実感している。